皆生『八代荒神社』の自然石
米子市のサイノカミ

鳥取県西部の民俗と石造物

米子市皆生には2ヶ所にサイノカミさんがあります。
そのうちのひとつがここ皆生八代荒神社にある自然石です。
どこの川でもそうなのでしょうが破堤リスクの高い地点というものはあるもので、ここも古来より治水の最前線にある場所でした。
記録にある限り、隣の三宝荒神が流されるほどの水害を二度も経ており、国交省及び近代土木技術のおかげで随分安全になったとは云え、まさに切実ともいえる民間信仰による対策が幾重にも施され、今でもその様子を見ることができます。

米子市 皆生のサイノカミ 皆生八代荒神社の自然石
2021-09-09
目印
皆生八代荒神社
対象

自然石

参考

石に刻まれた祈り2 No.05
八代荒神社案内板
上福原神社案内板

サイノカミについて

拝殿向かって2時の方向に自然石があり「佐斐神神社」および「大山智明大権現」の幟旗が立ててあります。
多くの人が参加する秋の例祭では、お年寄りの方を中心に次々と手をあわせておられました。

米子市 皆生のサイノカミ 皆生八代荒神社の自然石
🍁秋の例祭🍁2023-11-22
米子市 皆生のサイノカミ 皆生八代荒神社の自然石
2023-02-11
米子市 皆生のサイノカミ 皆生八代荒神社の自然石
2021-09-09
米子市 皆生のサイノカミ 皆生八代荒神社の自然石
2020-09-14

虫送りとくちなわ祭りについて

ここら辺ではくちなわさんを毎年作る地区がそもそも珍しいですので、明確に力を入れておられるのが伝わってきます。

虫送りは、火を炊いてあぜ道を練り歩く…といった本格的な形ではなくお焚き上げをすることで兼ねているんだよと、区長さんの談。
取り敢えず7月1日とされていますが、前後の一斉清掃の日程に合わせて開催されますので、もしも興味のある方がおられたら、6月末近辺に先乗りすると日程が拝殿に掲示されているはずです。
また、例祭である秋の申し上げ祭り(くちなわさん)については勤労感謝の日固定です。
時間は、こちらも拝殿に貼り出されますので。

以上、ご参考まで。

米子市 皆生 八代荒神社 秋の例祭 藁カメ
2023-11-22
藁のカメ、できたて
米子市 皆生 八代荒神社 秋の例祭 くちなわさん
2023-11-22
くちなわさん、できたて
米子市 皆生 八代荒神社 秋の例祭
2023-11-22
米子市 皆生 八代荒神社 秋の例祭 撤饌
2023-11-22
撤饌
米子市 皆生 八代荒神社 お焚き上げ 虫送り
2023-07-02
🐛虫送り/お焚き上げ

それでは皆生八代荒神社の成り立ちと「虫送り」「くちなわ祭り」について以下鳥居の横にある石版から引用します。

皆生八代荒神社

この神社は皆生八代荒神社といいます。
ご祭神は素盞嗚尊(スサノウノミコト)で、通称、荒神さんです。
創立年代は、天正年間(1573-1591)といわれていますが、詳らかではありません。
皆生(海池)村の開祖、八幡新兵衛はじめ、私達の先祖が、心血注いで開墾するうえでの、こころの依り所として、村の上に祠、神社を建立したものです。
荒神さんは多くの村で祭られている神で、文字通り荒ぶる神、粗末に扱うと祟られると、恐れられている神です。
それだけに誠意をこめて祭ると、村人のために全力で災難を防ぎ、豊作をもたらし、村を栄えさせてくれる頼もしい神といわれています。
八大荒神さんは、この荒神と、水の神(八大龍王)が合体して出来た神であろうといわれています。
暴れ川であった日野川の川口に、八大荒神が祭られた心情は痛いほどよくわかるところです。
八大の大が一般的なのですが、ここは八大のだいは"代"と書かれています。
諸説がありますが、古文書など歴史資料が少なく推測の域を脱し得ません。
それだけ由緒深い鎮守の森の神つやしろ(神社)なのです。

くちなわさん祭り

くちなわさん祭りは、当社祭日11月28日(現在は11月23日、勤労感謝の日)に、祝い歌「愛宕舞い」を歌いながら、わら蛇"くちなわさん"を作り神社に奉納する祭りです。
その昔には、他の村でも行われていたのでしょうが、現在、米子市内では唯一当神社だけが行う祭礼行事です。
蛇の長さは、祠を七巻半(約30m)の長さに作り、尻尾にわら製の海亀を添えます。
つまり、この合体した"くちなわ"と海亀の形態は、鳥取県内では当社だけに見られる独特なものです。
この地が半農半漁の暮らしを営んでいた現れです。
日野川の洪水によって、田、畑、農作物の被害が出ないようにと"くちなわさん"に祈り、皆生の海が静かで漁ができるようにと海亀を作り、奉納しているのです。
この"くちなわさん"は、翌年の7月1日の虫送りの日に焚き上げられます。
昔は荒神祭の日に甘酒の壺を社地内に埋め、翌年掘り出して酒の減り具合を見て来年の豊作を占うようなこともしていた事でしょうが、その名残が当社には残っていて、祭りの最後には、壺に神酒を入れ、祠の下に埋めて皆生の地の1年間の安全加護と、五穀豊穣を併せて祈願するものです。

平成14年11月吉日/由来書きの石版より